「学ぶ門には福来たる」


 これは,「学べば何かいいことがある。」という意味にも取れそうです。例えば,「より良い学校に行け」たり,「より良い会社に就職でき」たり,「異性にもて」たり,「収入が増え」たり…。もちろんそういう面があることも否めません。

 

でも,それでは「学び」そのものの価値と言うよりは,それを何かの手段としている点で,「学び」に対する冒とくかもしれません。純粋にロックが好きでギターをやっている人にとって,「おれ,女にもてたいからロックでも始めちゃおっかな~。」なんて言い方は腹立たしいでしょう。純粋に野球が好きな人にとっては,「イチローみたいに金稼ぎたいから野球でもやろっかな。サッカーでもいいんだけど。」なんて人には野球をやって欲しくないでしょう。ギターや野球を異性にもてたり金儲けをしたりするための手段とするのは,やっぱりギターや野球の世界では下品な考え方です。もっとお金になることが見つかったとしても,イチロー選手はバットを置かないでしょうし,真央選手はスケートを脱がないでしょう。

 

ところが,どうも「学び」に関しては違う考え方をする人が多いのですね。「将来のAのために今Bを頑張る」ことが必要なケースがあるかもしれませんが,それではBを頑張る時間があまりにも長い場合,人生の無駄遣いです。Bを楽しまなければ損です。我流舎の塾生の中にも,勉強が嫌いな人は多いわけですが,普段計算とか面倒臭がってやりたがらない人でも,「百マス計算電卓」での成績をホワイトボードにランキングにして掲示しますと,何度でも挑戦します。「もう休憩は終わりやで~。」と言っても「あいつには負けられへん」とか言って…。最初はとっつきにくくイヤなことでも,ゲーム性を持たせる工夫をすれば楽しめるんですね。

 

中学・高校とイヤでも勉強と付き合わなければならないのですから,何とかそれが楽しくなればいいですね。そのためには,初めのうちは苦しいかもしれませんが,修行だと思って歯を食いしばってついてきてもらいたいと思います。進歩している実感がわいてくれば,苦行がいつしか苦行でなくなり,楽しめるようになるものです。